霊の乳を慕い求める

‘生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。 ‘ ペトロの手紙一 2:2 https://www.bible.com/bible/1819/1PE.2.2

我が家にいる六ケ月の次女をみるとこの聖書の言葉を思い出す。乳飲み子は本当に純粋に乳を求める。特に我が家の乳飲み子はこの純粋さが際立っており、常に乳を求め続ける。結果標準をはるかに超えたスピードで成長し続けている。

クリスチャンも、我が家の乳飲み子とおなじぐらい強く霊の乳を追い求めないといけない。それができたら、我が家の乳飲み子のようにクリスチャンとして成長する。霊の乳とは神様の言葉すなわち聖書である。聖書を読み神様の言葉を聞くことがクリスチャンの成長につながる。しかし、自分のことを省みると乳飲み子のように聖書の言葉を読むことは本当に少ない。いつも自分の欲に負けて聖書を読む時間を取ることができない。それはクリスチャンとして大いに反省しないといけない。

禅問答みたいになるが、霊の乳である聖書を慕い求めるようになるには聖書を読まないといけない。聖書を読むと神様の力を感じてさらに聖書を読むようになる。自分の欲に支配されて聖書を読む時間をとれないと神様の力を感じないのでさらに聖書から遠のく。クリスチャンは救われる時に神様の力を存分に感じ霊の乳を求める心を持つものだが、それが正常に機能しないように自分の欲が邪魔をする。その欲と戦わなくてはいけない。

霊の乳を慕い求める心が機能していない時、とにかく無理矢理にでも聖書を読む時間をつくること。それが一番の特効薬だ。この特効薬は本当効果的だ。聖書から離れている時に聖書に戻ると、乾いた喉を潤す水のように心の渇きをいやしてくれる。言いようのない暖かいものが心にこみあげてくる。私の信仰生活はこの繰り返しである。本当はこの特効薬が必要ない健康な状態こそクリスチャンの目指すべきものなのだが。少しでも薬の不要な健康な信仰生活を送りたいものである。