新たな年の初めにキリストに仕える事を考える。

今日は。rieruです。

先日、プロ野球の戦力外通告を受けた選手の特集番組を見ていたら、元中日ドラゴンズの友永選手がプロの世界に入る前、家庭の金銭的事情で大学で野球を続ける事が難しくなった時、友永選手の祖父が学費を負担してくれたというエピソードが紹介された。友永選手はその事に感謝して中日の入団セレモニーに祖父を招待していた。中日を戦力外になった時も、闘病中の祖父にもう一度プロの舞台戻った自分の姿を見せたいと頑張っていた。

人は自分にとって大事なものを与えてくれた時に感謝する。そして、その感謝の故に与えてくれた人に何かをしたいと考えて、それを実行する。これは、クリスチャンがキリストに仕える原理である。

クリスチャンは、キリストから罪の問題を解決してもらった。罪の問題は永遠の裁きの問題であり、とてつもく大きい問題であり、それを解決してもらった事へのクリスチャンの感謝は大きい。それ故に出てくるクリスチャンのキリストへの献身はクリスチャン以外の人からは理解できない大きさになる。

しかし、それでもクリスチャンはもらったものの大きさに見合うものをキリストに捧げているとは考えない。なぜならばもらったもの大きさに比べて捧げるものが明らかに小さいからだ。罪の問題の解決に比べられる献身などない。クリスチャンとしてどんなに大きな事をしても罪の問題の解決には及ばない。そういう現実を考える時、クリスチャンは「こんな小さな物のために死をもって罪の解決を与えてくださったイエス様」に更なる感謝をするのである。

rieruも新しい年の初めに救い主なるキリストに心から感謝してキリストに仕える一年でありたいと思う。

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