今晩は。rieruです。
クリスチャンにとって死の先にあるものを思って生きる事は大切な事である。聖書は下記のように天のふるさとを求めてこの地上を旅人として生きた信仰者達の事を記している。
「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。」
ヘブル人への手紙 11:13-14 口語訳
https://bible.com/bible/1820/heb.11.13-14.口語訳
クリスチャンもまた、死の先にある「ふるさと」に戻る事を望んで生きる者である。この「ふるさと」とは神の支配する世界である。クリスチャンは死後、神の元に戻る。これはクリスチャンの希望であると同時に日々心に留めておくべき事である。
何故かというと、日常の行動が変わるからだ。日々の生活が神の支配への旅路の一理塚であると強く意識すれば自ずと「神に会う時に恥ずかしくない日常を送ろう」という思いが沸いてくる。その結果クリスチャンの日常は変わる。
人は怠惰な生き物であり、クリスチャンも色んな欲望に負けてクリスチャンとしての正しい生き方ではない方向に向かってしまう事がある。それを引き止めるものの一つが、「人生は神の元に帰る旅路である」という事を強く意識して生きる事である。
最近、ヘブル人への手紙を読んでいるのだが、この所から改むてゴールを見据えて生きる事の大切さを強く教えられた。
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