2023年12月28日 / 最終更新日時 : 2023年12月28日 rieru コラム 福音を聞いて恐れが生じるなら、福音に神のことばとしての力がある証である。 今晩は。rieruです。 今日は福音を聞く時に生じる「恐れ」について語りたい。下記は聖書が使徒パウロから福音を聞いたペリクスという人の反応について書かれている。 そこで、パウロが、正義、節制、未来の審判などについて論じて […]
2023年12月20日 / 最終更新日時 : 2023年12月20日 rieru コラム 「神のさまざまな恵みの良き管理人」で在りたい。 聖書はクリスチャンに対して下記のように勧めている。 あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。ペテロの第一の手紙 4:10 […]
2023年12月15日 / 最終更新日時 : 2023年12月15日 rieru コラム 神は人がコントロールできない「他人の事」については責任を問わないが、自らがコントロールできることについてはトコトンその責任を追及される。 今晩は。rieruです。 だから、きょう、この日にあなたがたに断言しておく。わたしは、すべての人の血について、なんら責任がない。 神のみ旨を皆あますところなく、あなたがたに伝えておいたからである。 使徒行伝 20 […]
2023年12月12日 / 最終更新日時 : 2023年12月12日 rieru コラム 日本人の心にも存在する「神」 今晩は。rieruです。 日本は無宗教の国と言われている。科学的な根拠のない話について「それは宗教だ」という言われ方をしたりもする。だが、そんな国にも「神」が存在する。例えばスポーツの世界などでは理屈では説明できないよう […]
2023年1月6日 / 最終更新日時 : 2023年1月6日 rieru コラム 聖書が語る「服を着ること」の意味 今晩は。rieruです。 人は服を着るというのは当たり前の行為だが、地球全体を見渡すとそれは特異な現象である。地球上にはありとあらゆる動物がいるが、人を除いて「服」を着ている動物はいない。その理由を合理的に説明することが […]
2022年11月29日 / 最終更新日時 : 2022年11月29日 rieru コラム 国としてキリスト教文化圏だからと言って個々の信仰が保証されるわけではない 今晩は。rieruです。 先日仕事でドイツ人と日本人がグループでワークライフバランスについて議論するのを聴く機会があった。ドイツ人の中には「兎に角休む権利は絶対だ」的な空気の方がおられた。日本人の社会では「自分が仕事をし […]
2022年7月20日 / 最終更新日時 : 2022年7月20日 rieru コラム キリストの教えとその実践。 今晩は。rieruです。 先日高速道路を運転中道路脇に事故車のようなものが止まっていたが、事故対応がされているか不確かな状況であった。車を路肩に止めて状況を確認すべきか迷ったが、高速で無闇に外に出るのも危険なので、同乗し […]
2022年1月31日 / 最終更新日時 : 2022年1月31日 rieru コラム 対面でないとできない事。 今日は。rieruです。 コロナ禍で「対面でしかできない」と思われていた事が実はそうではなかったという事は多く存在したように思う。一方で「それでも対面でしかできない(あるいは対面が望ましい)もの」というのは存在する様に思 […]
2021年12月31日 / 最終更新日時 : 2022年1月3日 rieru コラム 言葉で失敗しないためになすべき事。 今日は。rieruです。 聖書は言葉で失敗する事の危険について下記のように記されている。 「舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自ら […]
2021年12月24日 / 最終更新日時 : 2021年12月24日 rieru コラム 神がクリスチャンの心に書きつけたもの 今晩は。rieruです。 聖書は下記の通り、救われたクリスチャンの心(思い)の中に神が書きつけたものがあると語っている。 「「わたしが、それらの日の後、 彼らに対して立てようとする契約はこれであると、 主が言われる。 わ […]