国としてキリスト教文化圏だからと言って個々の信仰が保証されるわけではない

今晩は。rieruです。

先日仕事でドイツ人と日本人がグループでワークライフバランスについて議論するのを聴く機会があった。ドイツ人の中には「兎に角休む権利は絶対だ」的な空気の方がおられた。日本人の社会では「自分が仕事をしなかったら他の人に迷惑がかかる」という事が残業の理由になることがあるのだが、その事に対して「そんな事は関係ない」と言わんばかりに反論が飛び交っていた。

ドイツ人一般がそうだというわけではないのだろうが、その場に集まったドイツ人は平均的な日本人よりも「他人に配慮するより自らの権利を守る事が大事」という方が多いように見受けられた。それが一概にダメという話ではないだろうが、「隣人を愛する」という聖書の教えに関しては日本人の方が教えを実行しているケースがあるように思う。

ドイツも一応キリスト教文化圏だが、上記のような例では日本人の方が聖書を知らないのに行っている事は聖書の教えに忠実である。当然のことながら、国としてキリスト教文化圏だからと言って個々の信仰が保証されるわけではないので往々にこういうことはあるわけだが、実際に目にしてみると不思議な感覚に陥る。人はついつい大枠で物事を捉えがちで色眼鏡で人を判断しがちだが、それは時に真実を見誤る危険がある事は認識しておきたいものである。

ブログ村のランキングに参加参加しました。本記事を評価頂けるようであれば、本ブログを応援する意味も込めて下記のバナーをクリックして頂けると幸いです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

本ブログはコメント欄を設けておりません。コメントがある場合は、お手数ですが下記のツイートのリプでお願いします。