聖書が語る「服を着ること」の意味
今晩は。rieruです。
人は服を着るというのは当たり前の行為だが、地球全体を見渡すとそれは特異な現象である。地球上にはありとあらゆる動物がいるが、人を除いて「服」を着ている動物はいない。その理由を合理的に説明することができるだろうか。実は聖書がその事に関して単純明快な答えを語っている。創世記というところに人は生まれたばかりの状態では裸を恥ずかしいと思っていなかった事がかかれている。
「人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。」
創世記 2:25 口語訳
https://bible.com/bible/1820/gen.2.25.口語訳
しかし、神が「食べてはならない」と人に命じた「善悪を知る木」から実を食べたのち、下記の通り裸を恥ずかしいと思うようになったと記されている。
「彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。」
創世記 3:10 口語訳
https://bible.com/bible/1820/gen.3.10.口語訳
人は、この木の実を食べたことで「裸の恥」を知ってしまったのである。そして、聖書の中に「最初の服」が登場する。それは神が裸の恥を覆うために与えられた「皮の着物」であった。
「主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。」
創世記 3:21 口語訳
https://bible.com/bible/1820/gen.3.21.口語訳
この着物のために動物のいのちが失われた。それはやがて人の罪を贖うために失われたキリストを予表している。普段私たちが何気なく行っている「服を着る」という行為にも聖書は確固たる意味があると教えているのである。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) January 5, 2023