いつまでものこるものに価値がある
今晩は。rieruです。
先日また北の達人の木下社長の動画をみていたら、「格言と言われるものってものすごくタパがいい」「 昔 から この 精神 論 みたい の は 生まれ て は 廃た れ 生まれ て は 廃た れって し て いく ん です けど も その 中 で 現代 まで 残っ てる も のっ て いう の は やっぱり これ は 廃た れ ない よ ねっ て いう もの しか 残っ て い ない」「何百年の間時代が変わろうと関係なく正しいと言われてるものを信じるっていうのは圧倒的にタイパがいい」
この話を聞いて「聖書」というのはこれにまさにあてはまるのでは?と思った。聖書は何千年単位で残ってきたものだし、聖書自身も以下のように語っている。
‘「人はみな草のごとく、 その栄華はみな草の花に似ている。 草は枯れ、 花は散る。 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。 これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。’
ペテロの第一の手紙 1:24-25
https://www.bible.com/ja/bible/1820/1PE.1.24-25
もちろん、残っているものが絶対に正しいということはないので、最終的には一人一人が聖書を手に取って読んで判断することだが、世にあるあまたの本よりも圧倒的に長い間残って来た書物である聖書には「なにがしかの真実があるかもしれない」と考えて、実際に読んでみる価値ぐらいはあるのではないだろうか。
本ブログはコメント欄を設けておりません。コメントがある場合は、お手数ですが下記Xのポストのリプでお願いします。
