教会において「長老による指導」が「パワハラ」にならないために必要な事。

今日は。rieruです。

最近は、上司が部下を叱責すると「パワハラ」と訴えられる時代になった。パワハラ自体は望ましい話ではないし、それが解決されることは社会全体にとって必要なことである。しかしながら、その事の故に「必要な指導」ができないとするとそれもまた困った話である。聖書は教会の長老(指導者)の心構えとして以下のように語っている。

あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。 また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。

ペテロの第一の手紙‬ ‭5‬:‭2‬-‭3‬ 口語訳‬,bible.comより引用,2024年6月23日最終閲覧

聖書は、まず上に立つものが「模範」を示すことの重要性を説いている。まずは模範を示し、教会の構成員はその模範を見て自発的に行動することが求められる。この関係が正常に機能していれば構成員は長老に対して「敬意」を払うようになる。その状態であれば「長老による指導」も「権力をふるう」という事にはならない。今風に言えば「パワハラ」にはならない。聖書は以下のように「長老による指導」が必要であることも示唆している。

よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。

「よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。」
‭‭テモテへの第一の手紙‬ ‭5‬:‭17‬ 口語訳‬,bible.comより引用,2024年6月23日最終閲覧

教会において「長老による指導」が「パワハラ」にならないためには、長老による「模範」によって構成員が長老に対する「敬意」を持つようになることが必要である。

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