今晩は。rieruです。
今日は今日は少し長くなるが下記の聖書の記事をお読み頂きたい。
「このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。 それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。 そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。 それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。 ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、 そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、 さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。 そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。 するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。 王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。 そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、 盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。」
マルコによる福音書 6:17-28 口語訳
https://www.bible.com/1820/mrk.6.17-28.口語訳
このエピソードのキーワードは「列座の人たちの手前」である。ヘロデ王はヨハネという預言者を正しい人だと知っていた。しかし、ヘロデヤの策略のためにヨハネの首を取らなければ大勢の人の前に恥をかく状況に追い込まれた。その時ヘロデは正義よりも人の手前を優先して人の命を奪ってしまった。
非常に残酷な話だが、人の本質を良く現している。人は恥をかくことを嫌う。それぐらいなら少しぐらい正義を曲げるというのは一般社会にもある。もちろんヘロデ王のような権威はないからそれで人の命を奪うことはないだろう。しかし、「うちの社長に恥をかかせられない」と言って筋の通らない話が通るというのは長く社会人を経験すれば一度くらい経験があるだろう。
恥が関係なくても人の都合により本来通らない話が通る事はよくある。お偉いさんのお気に入りが理不尽に出世するとか、本来なんらかのルールに適合しなくても対象がお偉いさんのご意向だから是とされるとかはざらにある。
人は理由があれば本来の正義を曲げる事を時にやってしまう。それは人の弱さであり、人の罪の性質の現れである。しかし、それは神の前に許されない事だ。クリスチャンが人の手前を理由に神の言葉を曲げてはならない。聖書に明確に記されたルールを運用する時に人の手前を理由にそれを曲げるなら、神の前におけるの正義に著しく反する。この弱さを悪魔が常狙っている。クリスチャンはその心の隙を悪魔に付け込まれないよう警戒しなくてはならない。