言葉で失敗しないためになすべき事。

今日は。rieruです。

聖書は言葉で失敗する事の危険について下記のように記されている。

「舌は火である。不義の世界である。舌は、わたしたちの器官の一つとしてそなえられたものであるが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自らは地獄の火で焼かれる。 あらゆる種類の獣、鳥、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられるし、また制せられてきた。 ところが、舌を制しうる人は、ひとりもいない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。」
‭‭ヤコブの手紙‬ ‭3:6-8‬ ‭口語訳‬‬
https://bible.com/bible/1820/jas.3.6-8.口語訳

少々、ドギツイ表現だが、多くの人に取って、「あれを言わなければ」という後悔は共通する経験なのではないだろうか。(そして、それが時に、神の前では罪とされる事もある。)口にする言葉による失敗をした時、多くの人は「口にする言葉を制御しよう」「次回は言葉に気をつけよう」とするものである。しかし、聖書は下記のように口にする言葉は「心から出るものだ」と語る。

「しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。 というのは、悪い思い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、」
‭‭マタイによる福音書‬ ‭15:18-19‬ ‭口語訳‬‬
https://bible.com/bible/1820/mat.15.18-19.口語訳

この事からすれば、「心にあるものを変えずに言葉だけ変えよう」とする事は無意味という事になる。おそらく、これを読んでいる多くの人も「言葉に失敗しないように」と心に誓っても「またやってしまった」という事を繰り返しているのではないだろうか。それは心が変わっていないからだと聖書は語っている。では「心を変えよう」としてそれができるものか。実はそれも難しい。それが難しいから、せめて「言葉だけは繕っておこう」というのが多くの人の実情である。人は心を変えようとしてもそれはそれで不可能な事なのである。しかし、聖書はそれとは別の道を示している。それは「神によって心が変えられる」という方法である。その事について聖書は下記のように記している。

「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭3:6-8‬ ‭口語訳‬‬
https://bible.com/bible/1820/jhn.3.7-8.口語訳

霊はキリストを信じて救われた時に神から与えられる人格である。だから外見的な変化はないので直接的には分からないが、目に見ない風が何かに当たった音によってその存在を確認できるように、霊の新生という目に見えない心の変化についても、その後の言動や行動によって周りの人に理解できるというのが上記の聖書の言葉の意味である。霊の新生は、心を変えるので、自然とその人の口にする言葉も変える。これが言葉で失敗しない人になる方法である。

ただし、それは必要条件であって十分条件ではない。霊の新生を経験しても霊的に健康な状態を保たないと言葉で失敗しない事は実現しない。この霊的健康を維持する事についてはまた次回書きたい。

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