今日は。rieruです。
先日の下記の記事で「言葉で失敗しないためには霊的健康が保たれる事が必要」と書いたが、今日はクリスチャンが霊的健康が保つために必要な事について語りたい。
まずは、下記の聖書の言葉をお読みいただきたい。
「だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。 そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。 おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。 彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。 これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。」
ヤコブの手紙 1:21-25 口語訳
https://bible.com/bible/1820/jas.1.25.口語訳
ポイントは「心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れ」るという部分である。クリスチャンには心に植え付けられた言葉が存在する。それは後半には「完全な自由の律法」とも表現されている。これは具体的には何のことか。それはクリスチャンが救われた時に神から受ける「聖霊」によって教えられた言葉である。聖霊は「神の霊」であり、神から遣わされてクリスチャンの心に住み、クリスチャンがこの世でなすべき事を教える存在である。キリストは聖霊について下記のように約束している。
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」
ヨハネによる福音書 14:26 口語訳
https://bible.com/bible/1820/jhn.14.26.口語訳
この部分で、「父」とは神のことである。「あなたがた」とは直接はキリストの弟子の事であるが、キリストを信じて救われるクリスチャンも含まれる。助け主とはキリストがこの世を去った後、弟子(クリスチャン)達に悪魔の支配下にあるこの世においてクリスチャンとして正しく生きるために、「キリストに代わって」弟子たちを助けるものという意味である。その前提で「あなたがたにすべてのことを教え」る存在が聖霊である。弟子(クリスチャン)達はこの聖霊が教える「すべての事」を基準に生きる事によって、クリスチャンとして正しく生きることができる。その実践こそ上述の「完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない」で生きる事なのである。
聖霊の教える言葉である「完全な自由の律法」はクリスチャンの心の中常に存在する。これは聖書を通して具体的に教えられる言葉ではなく、聖霊がクリスチャンの心に直接的に働きかけ、「何が正しいか」という事を感覚的に教える言葉である。クリスチャンの心には聖霊の声が存在する。その声に注意深く耳を傾ける時に、クリスチャンの霊的健康は保たれ、心は正しいものに満たされる。その結果クリスチャンの言動が正しいものに変わる。これは決して簡単な事ではない。救われてもこの世にある間クリスチャンの心には罪の性質が共存している。その罪の性質は聖霊の声とは逆の罪に誘惑をする。その声に負けないよう常に注意しておかなければ、簡単にそちらに負けるのが人の弱さである。
新たな年の初めに今一度、このことを心に刻み、聖霊の声に従って霊的健康を保ちたいと思う。
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