おはようございます。rieruです。
聖書を読む時に注意しなくてはいけない事柄の一つに「神の時間軸と人の時間軸は違うこと」があげられる。聖書には下記のようにしるされている。
「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。」
ペテロの第二の手紙 3:8 口語訳
https://bible.com/bible/1820/2pe.3.8.口語訳
人の感覚としては「千年と一日はちがう」と突っ込みたくなるところだが、神は永遠の存在なので、永遠に対する千年と一日に違いはないのである。神にとっての千年に対する1日は、人間の感覚で1万年に対する1日と2日みたいなものなのである。
上記の言葉は「神のさばきの時は近いはずなのに、それがいつまでもこないではないか」という命題に対する答えとして書かれている。この事が書かれたのは約二千年前であるが、神の感覚の中では「2日のよう」なのである。人の感覚としては「二千年もの長い間神のさばきはなされていない」と感じるわけだが、神のほうでは「2日猶予した」に過ぎないのである。
この神の時間軸を意識して読むと他の聖書の箇所についても正しい理解ができる事がある。
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