「金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。」
ヘブル人への手紙 13:5 口語訳
https://www.bible.com/1820/heb.13.5.口語訳
一見すると上記の言葉を見ると、お金を稼ぐという事自体を聖書が否定しているかのように思えるかもしれない。しかし、それは違う。聖書が禁じているのは金銭を「愛すること」であり、金銭を「稼ぐ事」ではない。だからクリスチャンが金持ちであることそのもので非難されるべきではない。
金をもっていても、金を愛する事がなければ良いだけだ。では金銭を愛しているか否かの判定基準は何か。それは「稼いだお金を神のために使っているか」である。rieruの知り合いのクリスチャンに医師で病院の経営者である方がおられるがその方は自分のお金を教会運営のためにたくさん使っている。その方が属する教会は福音伝道のために専従するクリスチャンのお金を用立てている。その教会の規模からすれば実質的に病院の経営者である方のお金で人を雇っているようなものだ。
この方はお金を持っているが、お金を愛してはおらず、神を愛していると言って良い。神様のために何かをなすという事はお金がかかる。だから自分の持てる力をこの世で使い、その能力に応じて金銭をもらう行為は、その金銭を神のために使う限りは尊い。
「また、あなたがたの所にいた時に、「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と命じておいた。 ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。 こうした人々に対しては、静かに働いて自分で得たパンを食べるように、主イエス・キリストによって命じまた勧める。」
テサロニケ人への第二の手紙 3:10-12 口語訳
https://www.bible.com/1820/2th.3.10-12.口語訳
そもそも聖書は上記の言葉にあるように働く事を奨励している。その働きの対価が金銭であり、働く力が大きい者に多くの対価があるに過ぎない。だから金銭を多く持っている事自体はその人の労働力の価値が高いことを示す以外の意味はない。クリスチャンは自分の能力をしっかり発揮して働けば良い。その結果金持ちになったら、そのお金で金銭がなくてはできない神への奉仕をすれば良いだけだ。
それは、この世で金銭を稼いだ結果それで何をなすかという事が大事である事と何ら変わらない。