今晩は。rieruです。
「イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。」
ルカによる福音書 5:31 口語訳
https://www.bible.com/1820/luk.5.31.口語訳
医者を必要とするのは病人と言われて違和感のある人はあまりいないであろう。しかし、この言葉は案外深い。例えば、本来医者を必要とする病人であるにも関わらず、医者にかからない人もいる。例えば、医者嫌いな人。比較的お年寄りに多い気がするが医者が嫌いで多少の症状があっても医者に行かない人もいる。あるいはがんなどに代表される症状が出ない病気の場合。健康思考が強い人は人間ドックに行ったりして早期発見に至る場合もあるが、初期のがんの場合はそれが難しいケースもある。医者を必要とする者は病人という言葉は誰しも納得するわけだが、自分が医者が必要な病人であっても、それを自覚しなくては意味がない。
実は人の「罪」という病も似たような性質がある。神の前に罪があってその罪を自覚しなければそれを解決する事はできない。罪の自覚があってもそれが深刻であると認識しなければ放置する。しかし、それは初期のがんを放置するのと同じぐらい、いや、それ以上に深刻な問題である。罪を放置すれば永遠の滅びに至る。がんで肉体が滅びる以上に深刻な問題である。風邪や鼻炎など必ずしも医者を必要としない病もある。しかし、がんに侵された場合は治療には医者の助けを必要とする。人の罪という病もがんと同じように医者が必要である。では罪という病の医者とは誰なのか。
「人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。」
ガラテヤ人への手紙 2:16 口語訳
https://www.bible.com/1820/gal.2.16.口語訳
義とされるとは神の前における罪の問題を解決を意味する。人は生まれついた時から罪の性質を持ち永遠の滅びに向かって歩んでいる。しかし、その事を自覚しないで生きている。まるで自覚症状のない初期のがんに侵されているようなものである。どこかでその病を自覚していてキリストという医者の治療を受けなくてはいけない。その治療とは自分の罪を背負って十字架で神の裁きを受けてくれたイエス・キリストを自分救い主として受け入れて信じる事である。
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