Categories: 聖書の教え

クリスチャンの優先順位

今晩はrieruです。

今日はクリスチャンが物事をなす時の優先順位について書きたい。まずは下記の聖書の言葉をお読み頂きたい。

「そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、「わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。」
‭‭使徒行伝‬ ‭6:2‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/act.6.2.口語訳

これは初代の教会に置いて、食べ物の配給の問題が起きた時に語られた言葉である。当時の教会には皆で財産を共有にして食べ物を配るというシステムがあった。そしてその配給において一部の人に食べ物が行き渡らないという問題があった。そして、十二使徒はその問題の解決に乗り出した。冒頭の言葉はその時に語られたものである。

ここにクリスチャンが物事をなすべき時の基準が示されている。それは「神の言葉を伝える事に支障が出ないようにする」という基準である。当時はまだ新訳聖書が完成していない時代だったので、神の言葉を伝える働きに置いてキリストの直接の目撃者である使徒の働きの重要性は非常に重かった。文章や映像によって伝える事も技術的にできない時代だった。その中で使徒の証言には神の言葉を伝えるという働きの中で極めて重い役割りがあった。それ故に使徒達が食事の問題に直接関わる事は神の言葉を伝える働きに支障になる状況だった。しかし、食事の問題も放置してはいけないのです使徒達は自分達の代理として食事の問題を解決できる弟子を専任してその解決を図った。

食事の問題解決だけを見れば使徒が直接解決に当たっても良いが、それでは肝心の神の言葉を伝える働きができない。これでは本末転倒になる。それを回避するためには「教会(クリスチャン)はなにを為すために存在するのか」という事を常に念頭に置かなくてはいけない。問題が起きた時にそれを最終的な基準としていれば、本筋でない問題の解決のために一番大事なものが疎かになるという事はない。それはクリスチャンの世界に限らず通じる真理であろう。クリスチャンの本分は何かという事を常に頭において物事を考えたいものである。

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