本物のように見える偽物へ警戒すべき。

今晩は。rieruです。

今日は偽物は本物を偽装してやってくるというテーマを語りたい。聖書の中で偽物について下記のように語られている。

「だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。 あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、 キリストなるかしらに、しっかりと着くことをしない。このかしらから出て、からだ全体は、節と節、筋と筋とによって強められ結び合わされ、神に育てられて成長していくのである。」
‭‭コロサイ人への手紙‬ ‭2:16-19‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/col.2.16-19.口語訳

上記で語られている「食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日」は旧約聖書の律法の儀式な部分に属する。これは神の言葉として命令されたものなのでそれ自体は本物である。しかし、律法はキリストによって廃棄されたものなのでそれは基本的に効力はない。だが、偽物はそれによって人をだます。

「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、」
‭‭エペソ人への手紙‬ ‭2:14-15‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/eph.2.14-15.口語訳

また、「わざとらしい謙そん」は外から見たら謙そんに見える事がある。謙そんはクリスチャンが持つべき徳の一つなので良いものである。その良いものを偽物が利用する。「天使礼拝」について言えば、天使は神ではないので本来礼拝の対象ではないが、天使は神に属するする者なので良い者と思われがちなのでそれも偽物に利用される。

ここで挙げられている偽物が利用する事柄はどれもクリスチャンが「神に属する良いもの」と勘違いする可能性があるものである。だから注意しなくてはならない。偽物が「いかにも偽物ですよ」という雰囲気を醸し出してやってくるわけではない。偽物は本物に似せて作るから偽物である。偽物は本物であるかの如く装い人を騙すために存在する。基本的に偽物は本物のように見える。

クリスチャンは常にその偽物に警戒しなくてはいけない。警戒とは他に聖書の語る基準によって自ら判断する事である。「みんなやってるから」「伝統的にそうしてきた」「〇〇さんが言ってるから確かなはず」などの聖書以外の基準によって判断していたら偽物につけ込まれる。全ての事に対して、クリスチャン一人一人が聖書を基準として判断しなくてはならない。そして、その判断に置いて正しく判断できるように神に祈る事も大事である。神はその祈りに応えて、正しい判断を教えてくれる。それが偽物に騙されないためにクリスチャンがなすべき事である。

偽物への警戒は他に怠りなく実行しなくてはならない。

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