Categories: 聖書の教え

空中携挙の一つの根拠

今晩は。rieruです。

今日はいわゆる「空中携挙」に関して考えたい。クリスチャンの間でもでキリストの再臨(キリストがもう一度とこの地上に来る事)については意見が分かれている。特に大きな対立軸はキリストの再臨は一度なのか二度なのかという事である。二度と解釈する場合は一度目はクリスチャンを神の元に導くために来る。そしてこの一度目の再臨の後に黙示録に記されている「患難時代」と呼ばれる神の裁きの時が初まり、この裁きの時の終わりに罪人を直接裁くためにキリスト再度再臨すると理解されている。そして、一度目について「空中携挙」と呼ばれ、二度目は「地上再臨」と呼ばれている。

rleruは正直この事について聖書の言葉から断言できるだけの根拠は持ち合わせていない。聖書の未来の預言は簡単には理解できない書き方をされていて、その解釈については慎重になるべきというのがrleruの基本的なスタンスだからである。ただ、個人的には空中携挙があると理解すべきだと考えている。なんでそう考えるかという事を語りだすと長くなるので、今回はその一部を紹介したい。

聖書の中の使徒行伝にはキリストが天に帰った後、天使が再臨について下記のように語っている。

「言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。」
‭‭使徒行伝‬ ‭1:11‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/act.1.11.口語訳

ここでのポイントは「天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で」という部分である。ここで再臨についてはキリストが天に帰って行く時と同じ有様でもう一度来ると語られている。しかし、いわゆる地上再臨と呼ばれる髪の裁きの実行者としてキリストがもう一度来る時の様子はとても「同じ有様」とは表現し難い。その時の様子は黙示録に下記のように記されている。

「またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。 その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた。」
‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭19:11-13‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rev.19.11-13.口語訳

目は燃える炎で、血染めの衣をまとっている。裁き主としてのキリストには相応しい姿ではあるが、救い主としては相応しくない。復活後落胆していいる弟子慰め最後の教えをして穏やかに天に帰って行ったキリストの姿が目に炎を燃やした状態だったとは考えにくい。

またヘブル人への手紙には下記のようにも記されている。

「キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。」
‭‭ヘブル人への手紙‬ ‭9:28‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/heb.9.28.口語訳

前段はキリストの十字架の事である。キリストは裁くために にこの世に来たのではなく、罪を負うためにこの世に来た。その目的を達成した後、天に帰るときに裁き主としての様相で天に帰るだろうか。それはあまり考えにくい。だとすると冒頭の場面では救い主としての姿で天に帰って行ったはずであり、地上再臨の時の裁き主の姿とは違う姿だったと考えるべきである。

また、キリストな二度目来て「救を与えられる」と記されている。地上再臨の時は裁き主としての姿でくるのだから、これはその時の事を指して語っているわけではない。

以上の事を踏まえるとキリストな裁き主として地上に来る前に、救い主の働きの完結としてキリストを信じて救われたクリスチャンを地上での神の裁き(患難自体)から救うために空中まで来られてクリスチャンをこの地上から引き上げるという理解をするのが正しいように思われる。

最後に空中携挙に関する直接の記述を下記に引用してこの記事を終わりたい。

「わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。」
‭‭テサロニケ人への第一の手紙‬ ‭4:15-18‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/1th.4.15-18.口語訳

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