Categories: 信仰生活

死に至るまでいのちの証を保つこと。

今晩は。rieruです。

先日余命宣告を受けたクリスチャンに会って来た。彼はそれを受けてもなお、落胆する事はなく、むしろ安堵していた。彼の中にあるのは神の元に帰る時が来たという安心感であり、それは絶対的に揺るがないものである。クリスチャンはすべからくこの安心を持っているのだが、時に肉体のいのちが取られる恐怖により怯える事がある。私も自身も残された家族に対する心配などで彼の程に安心していられるかは自信がない。

一方で、この世の全ての煩いから解放されて神の元に帰る日がどれだけ素晴らしいものなのかという事については彼と同様の気持ちがある。彼が余命宣告された直後に会った時に「大変な事ではあるけれど、これで全て解放されるという事については羨ましくもある」と伝えた所、彼からは「この感覚を共有できる事が嬉しい」と返って来た。

このやり取りは自分の信仰生活の中でも1.2を争うぐらい思い出に残る会話だった。死という人にとって最大の問題を前にして、心底同じ感覚を共有できる相手が目の前にいるという空間は至極の時であった。それから暫くの時間が流れ、彼の病状は悪化していたが、彼の中にある確固たる安心は揺らぐことはない。この現実を見た時に本当に強い励ましを受けた。自分の中にある永遠のいのちがどれだけ価値のあるものかという事を再認識できたからだ。彼のように死に至るまでいのちを証するクリスチャンでありたい。

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