「神のさまざまな恵みの良き管理人」で在りたい。

聖書はクリスチャンに対して下記のように勧めている。

あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。
ペテロの第一の手紙‬ ‭4‬:‭10‬ 口語訳‬

bible.comより引用

ここですすめられているのは、クリスチャンは神から頂いたもの(即ち「賜物」)を過不足なく用いなさいということである。時に日本社会では自分ができる事でも「私にはできません。」という態度を取ることが美徳とされる場合がある。自ら率先して「何かをしたい」と意思表示することは「出しゃばり過ぎ」という印象を持たれる場合すらある。また、聖書は下記のように「高慢」を厳しく戒めている。

この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、
‭‭テモテへの第一の手紙‬ ‭6‬:‭17‬ 口語訳‬

bible.comより引用

「自分にはこれができる」と考える事は「高慢」と紙一重の部分があるのは事実である。自分に与えられた領域を超えて自分の力で何かを成し遂げようとする行為は神の前にあって「高慢」とされる場合もある。それ故に安全策として本来自分が為すべきことも「できません。」という態度を取りたくもなる。しかし、それは最初に引用した「神のさまざまな恵みの良き管理人」であるべきという教えを実行していることにはならない。

「良き管理人」であるためには自らに与えられた能力と為すべきことの範疇を聖書の教えに沿って丹念に見極め、その範囲の事は自らの意思を持って最大限実行することが必要になる。クリスチャンとしてはやみくもになんでも自らやろうとすることは相応しくないが、できる事、為すべき事をしないこともまた相応しくない。クリスチャンとして為すべきこと正しく見極め、その範囲を超えないよう忠実に実行するものでありたい。


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