今晩は。rieruです。
今日は神の命令を喜ぶ心を取り戻す方法について。昔、rieruの後輩のクリスチャンが凄く義務的に信仰生活をしていた時にアドバイスをした事があった。そのアドバイスは信仰の原点に戻るという事だった。
信仰を持って救われた時、「こんな罪人の私を救って下さった」事を神に感謝したはずだ。その感謝を前提とすれば神の命令は義務ではなく喜んで受けるものである。自分にとって大切な人が自分に望んでいる事をしたいというのは人間の自然な感情だ。自分を愛し、自分が愛する家族からの要望なら多少困難でもやり遂げたいと思うのが普通であり、そこに義務感はない。ならば、自分を愛して、ひとり子のイエス様を十字架につけた神の命令は喜んでやるのがクリスチャンの本来の姿だ。なぜなら、神の命令とは自分が愛し、自分を愛してくれる方の要望だから。それを喜んでやる事は愛する家族の要望を成し遂げたいと思う事と同じである。
大体上記のような話をしたところ、暫くしてその後輩が喜んで神の命令を行うようになった。その変化は明らかで義務感から解放された事がよく分かった。後で本人に聞いてみたところ、rieruのアドバイスのおかげだと言ってくれた。彼が言うには信仰生活の初めには神への感謝があり、それを形として現すと考えた時に自然と義務感から解放されたようだ。神への感謝を原点として考えた時、神の命令が愛し愛されるされる関係にある方の要望という理解ができれば義務感から解放される事はそんなに難しい事ではない。
不幸な事に、その原点を忘れてしまうと、神の命令は不自由なものになる。その結果命令を避けるか、義務的に従うかの二択になってしまう。信仰の原点にたち返れば、神の命令を喜ぶ心を取り戻す方ができる。