今日は、rieruです。
下記の記事において、永遠のいのちはこの世における現在進行形である事を書いた。
この事は間違いではない。しかし、聖書の語る永遠のいのちがこの世で完全な形で実現しているわけではない。永遠のいのちの完成は天国にある。その事は聖書の中で下記の通り記されている。
「また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。」
ヨハネの黙示録 21:3-4 口語訳
https://www.bible.com/1820/rev.21.3-4.口語訳
上記の記事で書いたように永遠のいのちはこの世からはじまっている。それは神とキリストとのコミュニケーションであり、それはこの世で救われた瞬間から始まる。しかし、それは完全な形ではない。この世においては、悪魔妨害や人の罪の性質故に神とキリストとのコミュニケーションは部分的に断然する事がある。しかし、救われた人が肉体の死後に天国に迎え入れられた時、神とキリストとのコミュニケーションの断然はなくなる。それが、「神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして」という上記の聖書の言葉の意味である。その時、人は全ての苦痛から完全に解放される、神とキリストとのコミュニケーションによる喜びだけを永遠に感じ続ける。それが永遠のいのちの完成な実現である。クリスチャンはその実現を待ち望みながら生きている。できるなら早くそこに行きたいが、この世で与えられた使命をまだ果たしていない。そうい葛藤を持ちながら、永遠のいのちを実現を望みつつ日々神に仕えているのである。
この記事を読んで聖書の語る永遠の命に興味。持ったならば、その永遠のいのちに至るために人の罪の問題の解決が必要である事を知って欲しい。その事は本記事の主題ではないので詳しくは書かないが、下記の記事などを参照して考えてもらえたらと思う。
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