Categories: 福音聖書の教え

復活の初穂であるキリスト。

今日は。rieruです。

使徒パウロは書簡の中で下記のように語っている。

「兄弟たちよ。わたしが以前あなたがたに伝えた福音、あなたがたが受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起してもらいたい。」
‭‭コリント人への第一の手紙‬ ‭15:1‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/1co.15.1.口語訳

パウロがこのよう語った理由はコリントの教会で「復活」について教えに混乱があったからだ。当時のコリントには「復活はない」という間違った教えがはびこっていた。だからパウロは福音を既にクリスチャンになった者に対して語った。なぜならキリストの復活ぎ福音中核であり、それがクリスチャンの復活に大きく関係するからだ。パウロはキリストの復活とクリスチャンの復活の関係について下記のように語っている。

「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。 それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。」
‭‭コリント人への第一の手紙‬ ‭15:20-21‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/1co.15.20-21.口語訳

ここでパウロはキリストは「初穂」として復活したと語っている。作物の初穂は多くの実りの初めであり、それがないと後に続く実りはない。ここでいう実りとはキリストを信じたクリスチャンの復活である。キリストが復活した事によってクリスチャンの復活がもたらされたという事である。そう言われてもキリストの復活とクリスチャンの復活の関係はあまりピンとこないかもしれない。その事については下記の聖書の言葉を読むと理解できる。

「あなたは、わたしの魂を黄泉に捨ておくことをせず、 あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならないであろう。

彼は預言者であって、『その子孫のひとりを王位につかせよう』と、神が堅く彼に誓われたことを認めていたので、 キリストの復活をあらかじめ知って、『彼は黄泉に捨ておかれることがなく、またその肉体が朽ち果てることもない』と語ったのである。」
‭‭使徒行伝‬ ‭2:27, 30-31‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/act.2.27,30-31.口語訳

このここで引用した前半部分は旧約聖書におけるキリストの復活に関する預言であり、後半はそれがキリストに実現したと聖書は語っている。注目すべきは「あなたの聖者が朽ち果てるのを、お許しにならない」という部分である。あなたの聖者とはキリストのことであり、「お許しにならない」のは神である。これは「神は正しい者に死に留め置く事はない」という原則に基づきキリストを復活させたというのがこの箇所で聖書が教えている事である。そもそも死は罪の結果であり、罪の問題がないものには与えられない。キリストは全人類の罪の償いのために死んだが、キリスト自身には罪はなかった。それゆえに、神は「聖者は朽ち果てない」という原則を適用し、復活をもってキリスト自身の無罪を証明したのである。

この原則が、救われたクリスチャンにも適用される。クリスチャンも罪ある人間だが、キリストの十字架による罪の償いのゆえに無罪とみなされる。だから、神は無罪である人を死の中に留め置くことはない。クリスチャンは一度死んでも必ずよみがえる。それは、キリストに適用された「聖者は朽ち果てない」という原則がクリスチャンにも適用されるからだ。キリストの復活が「初穂」である理由はここにある。キリストに「聖者は朽ち果てない」という神の原則(ルール)が適用されたように、キリストの十字架によって無罪とみなされたクリスチャンにもそれが適用される。キリストにその原則が貫かれないとしたら、無罪とみなされたクリスチャンにそれが適用される保証がなくなる。しかし、キリストにも「聖者は朽ち果てない」という原則されるなら、それが保証となってキリストを信じて無罪とされたクリスチャンも必ず復活するという希望を持つことができる。それが「キリストの復活が初穂である理由」である。

この大事な原則が曲がってしまったので、パウロはコリント人への手紙第一の15章で復活についての学びを詳細に書いたのである。

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