今晩は。rieruです。
今日はクリスチャンがこの世に置いて神の役に立つ者になるために重要な事について語りたい。それはクリスチャンは「自分のうちには力がない事」を自覚しなくてはならない。その事について聖書は下記のように語っている。
「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。」
コリント人への第二の手紙 3:18 口語訳
https://www.bible.com/1820/2co.3.18.口語訳
ここで言う「わたしたち」とはパウロを含むクリスチャンの集団を指す。クリスチャンは「主の栄光を映す鏡」と記されている。鏡はそれ自体は光を放たず、光を反射する事で光を伝達する。クリスチャンは鏡であっても、自ら光を放つ力はない。必要なのはキリストという光を反射して世に伝える存在だとここで聖書は語っている。
必要なのは光を作り出す事ではなく、光を反射できる状態を正常な状態を保つ事である。クリスチャンが罪に汚れた生活をして鏡の表面に汚れが貯まっていたら、キリストという光を反射する事はできない。また、クリスチャンが快楽を追い求めて、キリストから離れたり、キリスト以外の方向を向いて生活していたらキリストの光を放つ事はできない。
クリスチャンが日々、聖書を読み、祈りの生活に励みキリストと生活をするとき、聖霊なる神の助けを通して少しずつ成長を遂げる。クリスチャンの成長によりその中にキリストかおりを他人が感じるようになる。その時時、キリストの光を反射する鏡の働きが成立する。それは自分の力で何かをなすという性質のものではなく、神の力によって変えられる結果としてキリストのかおりを放つという事である。
その出発点はクリスチャンが自分のうちに力はなく、ただキリストの光を反射する鏡に過ぎない事を自覚することから始まる。
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