今日は下記の聖書の言葉からクリスチャンが健全な信仰生活を送るために大事な事について考えたい。
「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。」
ヨハネによる福音書 15:4 口語訳
https://www.bible.com/1820/jhn.15.4.口語訳
上記の言葉でいう「わたし」イエス・キリストで、「あなたがた」はキリストの弟子である。イエス・キリストは弟子に対して「わたしとつながって」いなければ実を結ぶ事ができないと語った。これはイエス・キリストとクリスチャンの関係にも当てはまる。クリスチャンはキリストとつながっていなければ実を結ぶ事ができない。実を結ぶとはクリスチャンとしての健全な信仰生活を指す。具体には福音を伝えたり、他のクリスチャンを励ましたり、聖書の教えを守る事である。rieruで言えばこのブログを通して聖書の教えをは発信することもその一つである。
では、イエス・キリストとつながるとはどういう事か。それは個人的に聖書を読む事である。聖書を読むとイエス・キリストを知ることできる。これは知識ではなく、体験である。今、クリスチャンはイエス・キリストを肉眼で見る事はできないが精神を通して心で見る事できる。そこにクリスチャンとイエス・キリストとの対話がある。聖書を読む時にクリスチャンの心にイエス・キリストからの働きかけがある。クリスチャンはその働きかけから力を得てより良い信仰生活を送る事ができる。
正直、クリスチャンでない方は感覚的に理解できない話しだろうが、クリスチャンに取っては現実なのである。rieruも例外ではなく、個人で聖書を読みキリストとつながっていないと信仰生活は難しい。キリストとなつながりがないと福音を伝えても力がないし、他のクリスチャンと話をしても空虚な時間になってしまう。反対に個人的に聖書を読めている時は、同じ事をしても充実している。この世にいる限り、世の中での責任を果たすために時間が必要であり、個人的な聖書を読む時間がなくなりがちだが、それでは信仰心は健全に送れない。クリスチャンはその事をいつも心留めて聖書の読む時間の確保を心がける必要がある。
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