今晩は。rieruです。
今日は少し全く聖書を読んだ事がない人向けに考えて欲しい事を書きたい。それは「聖書を読む時に神に対する先入観を捨てて欲しい」という事である。例えば、時々見聞きする神に対する先入観として「神が居るならばなぜ悪人が野放しにされるのか」というものがある。一見最もだが、これは「神は悪を即座にさばく筈だ」という先入観による誤解である。聖書は人の罪について下記のように語っている。
「すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した。 次のように書いてある、 「義人はいない、ひとりもいない。」
ローマ人への手紙 3:9-10 口語訳
https://www.bible.com/1820/rom.3.9-10.口語訳
神の前には義人はいない、つまり全員が罪人であり、神の裁きの対象なのである。何が罪なのかや神の基準がどういうものなのかという事はとりあえず横に置くとしても、「全員が罪人であるが、神の裁きが猶予されている」というのが事実だとすれば、「悪人がのうのうと生きている」事に対する見方も変わってくるのではないだろうか。
rieruは全ての人に理屈で神の存在を証明したいとは思っていない。そもそも神の存在は理屈で説明できるものではなく、人が聖書と向き合い目に見えない神の存在を肌で感じるものだ。だが、先入観のゆえに「神なんているはずがない」思っていては聖書と向き合うという事に至らない。だから、とりあえず神の存在を即座に認める事は難しいとしても、先入観ゆえに一切聖書を読まずに判断するのは避けて欲しいと思う。とりあえず神とはどうあるべきかという考えを横に置いて聖書は何を語っているのかという事を純粋に興味を持って読んでもらいたい。
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