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神と人との間の仲介者であるキリスト。

今晩は。rieruです。

今日は全ての人は神との仲介者が必要であるという事について。まずは下記の聖書の言葉をお読み頂きたい。

「神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。」
‭‭テモテへの第一の手紙‬ ‭2:5‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/1ti.2.5.口語訳

ここでいう仲保者とは仲立ちをする者という意味である。神と人との間に仲介者が必要であるという事がこの言葉の前提となっている。仲介は何か間に立つ人が必要な問題があるから必要になる。直接当人同士で解決できるなら仲介は不要である。これをお読み頂いている方は「あなたは神との間に仲介が必要な問題がある」と言われてどうお感じになるだろうか。

おそらく多くの人はピンとこないのではないだろうか。しかし、聖書はハッキリとその問題があると指摘している。その問題とは「罪」の問題である。人は全て例外なく神の前に罪人である。人の基準では善人に見えても誰一人神の前に罪がないと言える人はいない。神は些細な罪でも見逃す事はできない。人の目には触れない罪も全て神の目には見えている。これまでの人生の全てを録画された者を公開しても「一つの後ろぐらい所もない」と言い切れる人はいるだろうか。おそらくそんな人はどこを探してもいない。神の前に罪がないと言えるためには人生の全てに置いて恥ずべき事は一つもないと断言できなくてはならない。その基準には誰も到達しない。そしてこれを聞いた人の多くは「そんな基準は厳しすぎる」とお感じになる方が大半だろう。

しかし、神の基準はそれであり、人はそれを変える事はできない。この基準で罪人であるならばその人は神の裁きの対象である。人はこの地上を生きている間その罪の裁きを留保されている。罪を解決しないまま死んだ先には神の裁きとしての永遠の火の池が待っている。その罪の問題を解決するために神との仲介者であるキリストが必要となる。人は一度犯した罪を自分で償う事はできない。償いの方法は罪のないキリストが代わりに神の裁きを受けるしかない。キリストは私たちの罪の裁きを代わりに受けて死んだ。それが神と人との仲介者であるキリストが十字架の上で成し遂げた事である。

このキリストの十字架の仲介がそれぞれの人に取って有効なものとなるためには、キリストを自らの救い主として信じる信仰が必要である。具体的にはキリストは「自分の身代わりとして十字架で死を持って罪の償いをしてくれた方」であると信じる事が必要である。これを読んでくださる方には、自分には神との間の仲介者であるキリストが必要である事を知り、キリストを信じて欲しいと思う。

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