今晩は。rieruです。
クリスチャンにはご冥福をお祈りするという概念はない。何故か。クリスチャンは、キリストに対する信仰を持って死んだものは間違いなく神の下で安らかに喜びの時を過ごしているという確信があるので、あの世の幸福は祈るまでもない事である。一方で、信仰を持たずに死んだ者の行き先は永遠の火の池しかないので冥福祈る事は無意味であり何も言うことができない。ただ、その事実を受け入れるしかない。
クリスチャンに取って身近な者が死んだ時、その人にキリストに対する信仰がないと想像される時、それはその人が地獄にいるという絶望感に苛まれる時である。それを回避する手段はその時にはもうない。だからクリスチャンはそれを回避するために身近なものへの伝道に励むわけだが、これは極めて難しい。特に日本に置いては神という概念そのものから伝えないといけない。それは大変な事だ。勿論だからと言って諦めてはいけないのだが、その辺の葛藤が「ご冥福をお祈りします」が言えない理由であったりする。
これをお読みの方はにもキリストを信じて欲しいという気持ちはあるが、それが今すぐ難しいという事は理解している。だからせめて皆さんの周りのクリスチャンが「ご冥福をお祈りします」が言えない事情ぐらいは理解して欲しい。それは薄情なのではなく、クリスチャンの信仰のゆえにどうして言えない事なのだ。クリスチャンに取っての死は極めて重いものであり、それゆえにご冥福を祈る事ができないのである。
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