今晩は。rieruです。
今日は世界でコロナという疾病が大きなインパクトを持っている事に対するクリスチャンとして見解を述べたい。まず、聖書は下記の通り、全ての死は罪の報酬であると語っているという事を抑えて置きたい。
「罪の支払う報酬は死である。」
ローマ人への手紙 6:23 口語訳
https://www.bible.com/1820/rom.6.23.口語訳
聖書の中で疾病で死ぬか事故で死ぬかというのは本質ではない。全ての死の原因は人の罪であり、その結果としての死をどのように迎えるかは神の権限の範疇で決められる事である。死はコロナだけによるのではない。人は他の死因で死ぬ事もある。目を向けるべきは「コロナによる死」ではなく「人はいずれ皆死ぬ」という事実である。仮に隔離と検査、ワクチンでコロナを乗り切ったとしてもいずれ別の要因で死ぬ。コロナだけ乗り切ってもそれ以外の死因まで解決するわけではない。人は神が与える罪の罰としての死に対しては根本的に無力である。できる事は科学技術によって数年(あるいは数十年)寿命を伸ばす事しかできない。それが人の限界なのである。コロナという死の氷山の一角のみを怖がり続けるよりも死に対して根本的に無力であるという現実に向き合う事の方が大切である。ではそれに向き合ったら解決はあるのか。先に紹介した聖書の言葉には下記のような言葉が続く。
「しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」
ローマ人への手紙 6:23 口語訳
https://www.bible.com/1820/rom.6.23.口語訳
ここに書かれている「神の賜物」としての「永遠のいのち」こそ、死の問題の解決である。それは「キリストイエスにおける」と注釈が付いている。これは「キリストを自らの救い主として受け入れた結果与えられる」という意味である。キリストは全ての人の罪を背負い、その罰を変わって受け、罪の償いをした。それ故に、全ての人はこのキリストを「自らの罪の償いをしてくれた救い主」として信じる時に、神から罪の赦しをうける。その結果永遠のいのちを受ける。この永遠の命は不老不死の身体になるという意味ではない。人の肉体が機能なくなるという意味では永遠のいのちを受けても死ぬ。しかし、この肉体の死の後に魂が神の元に帰る事ができる。そこで人は永遠に慰められる。それが聖書が語る永遠のいのちを受ける事である。
そして、この永遠のいのちこそ、死の問題の本質的な解決である。これはコロナという一つの疾病を避けることより遥かに大事な事である。それさえ有ればやれ感染者数がどうとか、ワクチンは普及率がどうのと心配する事はないのである。コロナによって死という問題に向き合う事に迫られている人には是非この事を知って欲しいと切にねがう。これがクリスチャンの立場でコロナについて考える事である。
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