Categories: 聖書の教え

キリストに対して無反応だったユダヤ人。

今晩は。rieruです。

聖書の下記の部分はキリストを拒んだユダヤ人達について語られているのだが、この部分は大変興味深い。

「(これを聞いた民衆は皆、また取税人たちも、ヨハネのバプテスマを受けて神の正しいことを認めた。 しかし、パリサイ人と律法学者たちとは彼からバプテスマを受けないで、自分たちに対する神のみこころを無にした。) だから今の時代の人々を何に比べようか。彼らは何に似ているか。 それは子供たちが広場にすわって、互に呼びかけ、 『わたしたちが笛を吹いたのに、 あなたたちは踊ってくれなかった。 弔いの歌を歌ったのに、 泣いてくれなかった』 と言うのに似ている。」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭7:29-32‬ ‭口語訳‬‬
https://bible.com/bible/1820/luk.7.29-32.口語訳

当時のユダヤ人達は「笛を吹いても踊らない」「弔いの歌を歌っても泣かない」子供達に例えられている。どちらも「反応がないこと事」を指しているが、内容的には正反対である。笛を吹いて踊るのはどちらかというと「楽しい事あるいはよ、喜び」であるが、弔いの歌を歌って悲しむは「悲しい出来事」である。「反応がない事」の例えとして使われている事柄なのにこうも内容がかけ離れているのは不自然である。

これについては意味があると思う。なぜなら「キリスト」は当時のユダヤ人に取って「悲しみの元」であると同時に「喜びの元」であったからだ。キリストはこの世に来られた時、当時のユダヤ人指導者達の「偽善」について強く糾弾された。しかし、それに対して正しい反応(つまり罪を悲しむ事)はなかった。また、人々の罪の解決のために手を差し伸ばしたが、多くのユダヤ人は反応しなかった。キリストの厳しい言葉と救いの手を差し伸べた事双方に反応しなかったユダヤ人の姿が最初の聖書の言葉に示されているように思う。

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