今晩は。rieruです。
聖書は下記のとおり、にせ教師が教会の内側から現れるという事を教えている。これは大変恐ろしい事てあるが、一方でクリスチャンはそれに絶望感を覚える必要はない。
「しかし、民の間に、にせ預言者が起ったことがあるが、それと同じく、あなたがたの間にも、にせ教師が現れるであろう。彼らは、滅びに至らせる異端をひそかに持ち込み、自分たちをあがなって下さった主を否定して、すみやかな滅亡を自分の身に招いている。」
ペテロの第二の手紙 2:1 口語訳
https://bible.com/bible/1820/2pe.2.1.口語訳
聖書には下記の通り別の箇所に、クリスチャンは「偽者と本物を見分ける力があることが記されている。
「彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。 しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。」
ヨハネの第一の手紙 2:19-20 口語訳
https://bible.com/bible/1820/1jn.2.19-20.口語訳
これは、そういう能力がある人がクリスチャンになるという趣旨である。「聖なる者に油を注がれている」とあるが、これは救われた時に神によって「聖霊」という神の霊がクリスチャンの心に宿るという意味である。つまり、偽物を見分ける力は、人の能力ではなく、神によって与えられるものである。それ故に下記のようにも記されている。
「あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。」
ヨハネの第一の手紙 2:27 口語訳
https://bible.com/bible/1820/1jn.2.27.口語訳
ここで注目すべきは「だれにも教えてもらう必要はない。」という言葉である。聖霊を与えられたものは偽物を教えられなくても見分けることができる。それは頭で考えるのではなく、「感じる」ものである。理由を言語化して説明する事は必ずしもできない場合がある。しかし「何となく変だ」という事が直感的に分かるようになる。それが聖霊を与えられたものに起こる変化の一つである。
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