今晩は。rieruです。
今日は福音を聞く時に生じる「恐れ」について語りたい。下記は聖書が使徒パウロから福音を聞いたペリクスという人の反応について書かれている。
そこで、パウロが、正義、節制、未来の審判などについて論じていると、ペリクスは不安を感じてきて、言った、「きょうはこれで帰るがよい。また、よい機会を得たら、呼び出すことにする」。
使徒行伝 24:25 口語訳
bible.com より引用
ここでぺりクスは「不安を感じ」パウロを遠ざけた。これはパウロの語った福音が彼の心に恐れを生じさせ不安な気持ちを惹起したからである。これをお読みの皆様の中にも福音を聞いた時に同様のことが起こり得る。福音は神の正義とその正義に基づく「神のさばき」を内包しており、それは人の心に恐れを生じさせ不安な気持ちにさせるものである。
仮に、その事が起こったならば、ペリクスのように福音から逃げないで欲しい。福音を聞いて恐れや不安が生じるならば、それは聖書の語る福音に神の力があるという証である。聖書は神のことばななのでそれに基づく福音にも力がある。その福音によって恐れや不安があるならば、福音によってクリスチャンが受けた「永遠のいのち」も本物であるという事である。決してクリスチャンは闇雲に「いのちを受けた」と言っているのではない。その根拠となる聖書及び聖書の語る福音に「神のことばの力」がある事を実感し、それにより神の存在やキリストの愛についてそれが真実であると確信しているのである。それ故にその結果である「永遠のいのち」に確信があるのである。
福音を聞いた時そこに「恐れや不安」があるならば、ぜひ福音に神の力がある故にそれが生じているかもしれないという事を念頭に置いて福音と向き合うことを続けてほしい。それを続ければ、やがて福音が本物である事が分かり、「永遠のいのち」を受ける時が来るからである。
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