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クリスチャンが自由に福音を宣べ伝えることができるのは当然のことではない。

今日は。rieruです。

かつてパウロは以下のように語っている。

この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし、神の言はつながれてはいない。

‭‭テモテへの第二の手紙‬ ‭2‬:‭9‬ 口語訳‬, bible.comより引用,2024年6月9日最終アクセス

当時、クリスチャンは一部迫害されており、福音を延べ伝えるだけで囚われの身になることがあった。日本においてもかつてそのようなことが行われた。世界を見れば、今も同じようなことが行われている地域もある。決して今もこのことは昔のことではない。しかし、日本という国で生きているとその事について現実感を持てない。

だが、本当は信仰の自由が最低限保証され、福音を伝える事に大きな支障がないことは決して当然のことではない。今日本にいるクリスチャンは特別な守りが与えられている状態であることを感謝しなくてはいけない。そして、与えられたチャンスを活かして福音を宣べ伝えることに精進しなくてはならない。

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