今晩は。rieruです。
先日歌手の浜崎あゆみさんの過去の恋愛遍歴を本にして出版されるという出来事があった。rieru的にはこの本の内容がどうこうという事にはあまり興味がない。しかし、この本のタイトルにもなっている浜崎さんのMという曲が彼女の所属するレコード会社エイベックスグループの松浦さんとの恋を歌った歌であるという話は興味深った。
rieruが大学1年の時に音楽番組ではじめてMを聞いた時、何か不思議な力を感じた。当時はその意味があまり良く分からなかったが、今ならそれが分かる。浜崎さんの中で松浦さんとの恋自体に強い思いがあるが、それを公にする事はできない。それを歌にして表現した事で、その歌が人の心を打つ曲になった。そしてその曲は大ヒットしたという事をなのだろう。
言葉は人の体験が、バックグラウンドにあると力を増す。この原則は神の福音を伝える場合でも同じである。ペテロとヨハネが聖書の中で福音伝道について下記のように証言しいるが、これがまさに福音伝道は体験である事を簡潔に示している。
「わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。」
使徒行伝 4:20 口語訳
https://www.bible.com/1820/act.4.20.口語訳
福音伝道が単なる理屈や理論であったらそこに力はない。自らの体験がその言葉の裏にある時初めて、言葉に力が加わるのである。
ただし、体験を語ると言っても自らが体験した事そのものを語るのではない。自らがどのようにしてイエス・キリストを信じたかという話は他の人にそのまま当てはまるるわけではない。だから体験そのものに意味はあまりない。本当に意味があるのは「自分自身が体験したイエス・キリストの素晴らしさ」を語る事だ。聖書の中から福音とはなんぞやという事を理屈で説明するだけでは力がない。しかし、自分自身が聖書を通して示されたイエス・キリストの素晴らしさを心で体験して、それを言葉にする時そこに力がある。言い換えれば、語る人自身が心を揺さぶられた事を語るから、聞く人がが心を動かされるのである。
クリスチャンは全て聖書を通してイエス・キリストの素晴らしさに心を動かされた人なのだから、それを言葉すれば伝道する事ができる。大勢の聴衆の前で話す事は賜物が必要なのでできないクリスチャンもいるが、個人的に伝道する事は全てのはクリスチャンにできる。伝道する時に、自分が心を揺さぶられたイエス・キリストを伝える事ができたら、それは有益なものになるはずである。