人はうわべを見るが、主は心を見る

今晩は。rieruです。 今日は神が人の何を見ているのかということについて書きたい。

“主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」”

サムエル記 第一 16章7節

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

この聖書の言葉の中の「人はうわべを見、主は心を見る」の「主」は、聖書が語る神のことを示している。人は最終的に相手の心を見ることはできない。仕草や言葉などを通してその心を思い巡らすわけだけれども、完全に他人の心を理解することはできない。心に思っても表情に出さず、振る舞いにも出さない人の心というのは、人には見ることはできない。

しかし、神はすべての心をご存知であられる。その神の前に正しい良心を保つということが、クリスチャンが大切にしていることの一つである。

これは大変厳しい基準である。人はたとえ心にどんな邪悪なことを考えたとしても、それを行動に出さなければ罰せられることはないが、神はそれをすべてご存知である。神の前にはすべてが丸裸である。そういう観点からすると、その基準は大変高いものであり、厳しいものである。

しかし、聖書の語る神を認めて、神の前に正しく生きようとするクリスチャンは、少しでもその心の中に思うことが神の前に正しいものであるように努める。それがクリスチャンの生き方である。

そう考えてみると、クリスチャンにとって、自分の信じる神が自分の心をご存知であるということは、大変重い事実なのである。

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