霊の歌を歌うこと

詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。  エペソ人への手紙5章19節~聖書~

更新が滞ってすみませんでした。今回は「霊の歌」を歌うことについて書きたいと思います。霊の歌とは一般的に言うと讃美歌です。ゴスペルソングをイメージして頂ければと思います。ただし、単に讃美歌を歌うこととは違います。その違いを理解するためには「霊」という言葉を理解する必要があります。上記の聖書の言葉が言っている「霊」とは「クリスチャンが主イエス・キリストを信じて救われたときに、そのクリスチャンのうちに生まれる新しい人格」のことです。もう少し端的に言うと、「新しい自分です。」クリスチャンの内には、この世に生まれた時からずっと存在する自分と、救われたときに新しく生まれた自分の二つの人格が存在します。「この世に生まれた時からずっと存在する自分」は自己中心に生きようとします。それに対して「救われたときに新しく生まれた自分」は「創造主なる神」のために、また「自分の救い主である主イエス・キリスト」のために生きようとします。霊は後者の自分を指します。

この霊がが歌う歌が「霊の歌」です。「霊」は神様やイエス様のことを思って、神様やイエス様に喜んでもらうために歌います。私の中では、自分の歌っている讃美歌が「霊の歌」なのか生まれながらの自分が歌っているのか明確に判別できます。「霊の歌」であるときは、音程が外れず、声量がでるという明確な違いがあるからです。

私は、基本的に歌が苦手です。しかし、教会で讃美歌を歌う時だけしっかり歌える時があることにある時気づきました。そして、それが、自分の信仰生活に連動していることに気づかされました。自分の日常が神様の方を向いている時、イエス様のことを思って生活できている時、讃美歌を歌うと歌詞の意味をかみしめ、神様やイエス様のことが心に染みてきます。その時に、音程が外れず声量が出るという現象が起きます。いつしか、これが「霊」が歌うということなのだと分かったのです。

以来僕の中では、霊の歌が歌えるかが信仰生活のバロメーターになりました。霊の歌が歌えないとき、自分の信仰生活を見つめ直し、改めるべきことはないか考えます。いつも霊の歌が歌える状態を保ちたいといつも願っています。

福音

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