今日は。rieruです。
人は死に対して無力である。しかし、死という問題に対して「泣かないでいなさい」という事のできる方がいる。イエス・キリストである。
「主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。 そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われた。 すると、死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。」
ルカによる福音書 7:13-15 口語訳
https://www.bible.com/1820/luk.7.13-15.口語訳
キリストは息子を亡くした母親に「泣く必要がない」と言われた。それはキリストがその息子を死から救う事のできる力があったからだ。そして、その力によって息子は死から生き返った。
この出来事は現代に生きる私達とも無縁ではない。今もなおキリストは私達の死の問題の解決を与える事のできる方だからである。最も、今現在キリストが死んだ私達を物理的に(肉体的に)生き返られせてくれるというわけではない。肉体的に死んでも、私達のたましいを天国に入れてくれるという意味である。天国で人のたましいは全ての痛み、苦しみ、悩みから解放される。肉体の死後この世よりも良い所に行ける。これこそ死という問題の究極の解決である。
その解決をキリストから貰うためには昨日も書いた通り、キリストを自分の罪の償いのために死んだ救い主と信じる事が必要である。キリストを信じる時、人は死の解決を得る事ができる。クリスチャンはこの死の解決をもっているのでクリスチャンの死に対して悲しみのどん底に落ちるということはない。肉体の死は一時的な別れに過ぎないからだ。例えて言うなら、再会を約束されてしばらく、連絡手段のない異国の地に住むぐらいの感覚である。モチロン親しいものと連絡が取れなくなることは悲しい。しかし、その悲しみは永遠の別れとは全く違う。その事の重大さを重く受け止めるクリスチャンは、死の問題の解決を与えてくださるキリストに心から感謝するのである。
ブログ村のランキングに参加参加しました。本記事を評価頂けるようであれば、本ブログを応援する意味も込めて下記のバナーをクリックして頂けると幸いです。
にほんブログ村
本ブログはコメント欄を設けておりません。コメントがある場合は、お手数ですが下記のツイートのリプでお願いします。