今日は。rieruです。
今日は下記の聖書の言葉を考えたい。
「良い地に落ちたのは、御言を聞いたのち、これを正しい良い心でしっかりと守り、耐え忍んで実を結ぶに至る人たちのことである。」
ルカによる福音書 8:15 口語訳
https://www.bible.com/1820/luk.8.15.口語訳
「実を結ぶ」とはクリスチャンとしてなんらかの事を成し遂げる事を言う。例えば一番分かりやすい例はクリスチャンが福音を伝えてそれを信じる人が起きる事である。そこまで至らなくても人の心を打つ福音のメッセージを語るとか、他のクリスチャンの助けになる聖書の解説をするとかも当てはまる。直接言葉で伝えなくても、クリスチャンとしての振る舞いが周りの人に影響を及ぼすこともまたその範疇である。
そのためには「御言」すなわち聖書の言葉を守る事が必要であると上記の言葉は教えている。それはある意味クリスチャンとして当然の事である。聖書の言葉を守らない者がクリスチャンとして何かを成し遂げる事はない。しかし、上記の言葉は単に聖書の言葉を守るだけでなく、「耐え忍」ぶという条件が必要と教えている。
この耐え忍ぶという条件をrieruなりに解釈すると「継続する事」である。一時的に聖書の言葉を守るとしてもそこに継続性が無ければ何かを成し遂げる事は難しい。たまにしか聖書の言葉を守らないものの言葉信用できず誰も相手にしないからだ。クリスチャン以外の世界でもやってる事に一貫性のない者は信用されない。その意味で継続は大事である。しかし、目に見える成果なしに継続することは難しい。だから実を結ぶために耐え忍ぶ事が必要である。上記の言葉はその事を教えているように思う。
継続的に聖書の言葉を守りクリスチャンとして実を結ぶ人生を送りたいものである。
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