今晩は。rieruです。
今日はクリスチャンは未来への希望を持って生きているという事について書きたい。まずは下記の聖書の言葉をお読み頂きたい。
「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。 もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。 しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。」
ヘブル人への手紙 11:13-16 口語訳
https://www.bible.com/1820/heb.11.13-16.口語訳
この箇所はキリストがこの地上に来る前の時代に神を信じて生きていた人達について語っている。注目して頂きたいのは「彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。」天にあるふるさととは神のいる所の事である。つまり彼等が神の元に帰る事を望みとして生きていたという事である。現代のクリスチャンもこの点置いて全く同じである。その時がいつ来るかは分からないがこの地上を去って神の元に帰る時が来る。それはクリスチャンに取って至高の望みである。だからクリスチャンは死を恐れない。その時はこの世去って神の元に行く時だからである。
一方で、今を生きるクリスチャンとキリストがまだ約束のものは受けていなかったがこの地上に来る前に神を信じて生きて来た人とは根本的に違う事もある。上記に引用した聖書の言葉にはキリストがこの地上に来る前に神を信じて生きていたについて「まだ約束のものは受けていなかったが」と記されている。この点には置いては今を生きるクリスチャンとは大きく違う。なぜなら今を生きるクリスチャンは死後に神の元に行った時に受けるものの一部をこの地上で受けるからだ。
聖書の別の箇所には下記のようにある。
「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」
ヨハネによる福音書 17:3 口語訳
https://www.bible.com/1820/jhn.17.3.口語訳
これは永遠の命の聖書による定義だが、永遠の命は神とキリストを知る事である。これこそ死後に神の元でクリスチャンが永遠に味わうものであるが、神とキリストを知る事はこの地上でもクリスチャン一部実現している。聖書を通して神とキリストと出会い、日々の生活の中で神とキリストの素晴らしさを味わう。その信仰生活そのもの永遠の命であり、望みである。天の故郷である神の元に帰る時それはより深く、より強く味わう。それがクリスチャンのこの地上における希望なのである。
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