他の宗教に対してクリスチャンが取るべき態度
今日は。rieruです。
昔友達に他の宗教に対してどう思うのか?と聞かれた事がある。聖書は一神教の世界なので、それを信じるという事は他を偽物であると認証するという事でもある。他の神とは聖書的には偶像であり、忌み嫌うべきものである。だから他の宗教は肯定するというのはクリスチャンにはできない事だ。
ただ、他の宗教を積極的に非難するのかというとそれも違う。私の理解としては、積極的に選んだのは聖書であり、キリストである。他のものを排除したのではない。結果として他のものを肯定しないだけであって積極的に否定したいわけではない。だから、自ら相手の努力に上がって攻撃する事はない。代わりにクリスチャンのなすべき事は聖書の正しさ、を愚直に伝える事だと考えている。ただし、他の宗教が自らの信仰に対して攻撃し、クリスチャンとして信仰者上の理由でできない事(例えば、他の神を拝む事)を強要された場合にはそれに従わないということはある。
実は聖書の教えにも今の時代に邪教の教えと戦えという記述はない。教会の中に違った教えが持ち込まれた時にはガラテヤ人への手紙などで厳しい措置が取られる事が教えられているが、教会の外へ戦いを挑めとは書いてはいない。たとえば下記の個所では迫害に耐えることが賞賛されている。
「そのために、わたしたち自身は、あなたがたがいま受けているあらゆる迫害と患難とのただ中で示している忍耐と信仰とにつき、神の諸教会に対してあなたがたを誇としている。」
テサロニケ人への第二の手紙 1:4 口語訳
https://bible.com/bible/1820/2th.1.4.口語訳
更には迫害するものを祝福すべきという極めて難度の高い教えまである。
「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福して、のろってはならない。」
ローマ人への手紙 12:14 口語訳
https://bible.com/bible/1820/rom.12.14.口語訳
迫害に対して対抗するのではなくそれに耐え相手を祝福すべきという事からすれば、他の宗教に向かって積極的に非難する事はクリスチャンのなすべき事ではないと聖書が教えていると理解すべきである。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) September 21, 2021