命令と愛の融合。

今日は。rieruです。

今日はまず下記の聖書に書かれているパウロの言葉をお読み頂きたい。

「わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。」
‭‭テモテへの第一の手紙‬ ‭1:5‬ ‭口語訳‬‬
https://bible.com/bible/1820/1ti.1.5.口語訳

ここは、クリスチャンでない人には少し普通の感覚では?となるところではないだろうか。何故かと言うと、命令と愛というのはあまり馴染まない概念だからだ。愛は自発的なものであり、普通は「〇〇を愛しなさい」と言われても愛せるものではない。

しかし、クリスチャンの間では少し事情が異なる。クリスチャンのスタートは「神に愛される」事の実感にある。それ故に神を愛する。その2つがクリスチャンの根底である。そしてその神の望みが「隣人を愛しなさい」という命令である。その命令はクリスチャンに取って喜んで守るものである。極限の愛を持って愛して下さった方の望みを叶えたい。この思いがあるゆえにクリスチャンは神の「愛しなさい」という命令を喜んで守る。

最初に引用したパウロの命令も、最終的には神の命令を守りなさいというという意味である。そして、その後、神の命令は突き詰めて言うと「神と隣人を愛しなさい」なのである。だから命令が「清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標と」なるのである。そこには、嫌々守るとかそういう発想は基本的にないのである。

ただし、基本的にと書いた通り、クリスチャンもこの世にある限り不完全なので、その罪の性質ゆえに神以外の事で心が満ちてしまうと神の命令が苦痛にかわる。これはクリスチャンの信仰的な状態のパロメーターである。命令と愛という一見すると相容れないように見えるものが融合する時クリスチャンはクリスチャンとして健全に生きる事ができる。

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