対面でないとできない事。

今日は。rieruです。

コロナ禍で「対面でしかできない」と思われていた事が実はそうではなかったという事は多く存在したように思う。一方で「それでも対面でしかできない(あるいは対面が望ましい)もの」というのは存在する様に思う。聖書を読むとこの問題は昔から存在していた事が分かる。例えば、下記のような記述がある。

「あなたに書きおくりたいことはたくさんあるが、墨と筆とで書くことはすまい。 すぐにでもあなたに会って、直接はなし合いたいものである。」
‭‭ヨハネの第三の手紙‬ ‭1:13-14‬ ‭口語訳‬‬
https://bible.com/bible/1820/3jn.1.13-14.口語訳

最近はオンラインミーティングというのも大きく進歩したのである程度対面の必要性は緩和されたわけだが、まだまだ、オンラインで伝わらないものはある。声や表情という情報は画面越しに分かるが、対面でしか分からない相手の空気感みたいなものがあるように思う。また、本当の意味相手との「一体感」みたいなものは醸成されにくいとも感じる。

目の前に物理的に存在するのが二次元の画面では、目の前に生身の人間がいる時にくらべて無機質なコミュニケーションになりがちで、相手と心を開いて話をするという事にはなりにくい。その時点までに濃い人間関係がある場合は、比較的ましだが、初対面かあまり親しくない相手と最初からオンラインという場合はそのハードルは高い。ビジネスでのやり取りなら、単純に相手の提示する情報のやり取りだけで完結する時もあろうが、プライベートの場合はそうも行かない。特に信仰のように極めてパーソナルなやり取りが必要な場合はその傾向は強くなる。

これは、クリスチャンとしてはこうした事象を見ると、聖書は本当に人間の本質的な部分をよく描写していると感じるのである。

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