中絶という問題に対するクリスチャンの取るべき態度
今晩は。rieruです。
下記の通り、アメリカの連邦最高裁で一定の妊娠中絶を禁止した州の法律について合憲の判断がなされた。
この決定には聖書が大きく関わっている。聖書の教えに忠実にありたいというクリスチャンが、時に社会の流れとは相反する主張をする事がある。それが法律となったのが上記の例である。
rieruもクリスチャンなので、基本的に妊娠中絶には反対の立場である。一方で、クリスチャンでない人にその事を強要するのは順番が違うのかな?とも思う。勿論、聖書の教えに皆が喜んで従えるならそれに越した事はない。だが、現実にはそんな事はない。信仰のないものに「聖書の教え」をゴリ押ししたところで反発を呼ぶだけである。
その時、クリスチャンのなすべき事は「なぜ聖書の教えに従うべきなのか」を説明する事だ。そして、それをキッカケとして、福音を語る事だ。福音を語った結果、その人がキリストを信じてクリスチャンになった後に、「中絶が神の教えに反する行為である事」を伝えて自制を求めるべきである。端的に言えば、中絶という問題を解決するタメにクリスチャンがなすべきは、同じ信仰の価値観がない相手に信仰の行いを強要するのではなく、福音伝道によりクリスチャンを増やして、同じ信仰の価値観を持てる人を1人でも多く増やす事である。
こういう事を書くと、「今殺されようとしている胎児をどうやって救うんだ」という問いが来るように思うが、それは人の傲慢である。クリスチャンでも他人と神の関係に口出しする事は許されない。中絶がいのちを奪うとしてもそれは中絶に関わった人と神の問題であって一クリスチャンがどうこうするべき問題である。胎児の側の魂の永遠の行き先についても同様である。この場合、個人的には胎児の側が救いに預かると信じるが、それを含めて神の主権のうちにある事で人の領域ではない。こうした神の絶対的主権を認める事こそクリスチャンのなすべき事てある。
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