クリスチャンの年長者は時に若者から教えを受けるべき時がある。

今日は。rieruです。

パウロはテモテに対して以下のように勧めた事が聖書に記されている。

あなたは、年が若いために人に軽んじられてはならない。むしろ、言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、純潔にも、信者の模範になりなさい。

‭‭テモテへの第一の手紙‬ ‭4‬:‭12‬ 口語訳‬,bible.comより引用,2024年5月12日最終閲覧

この言葉には以下のような言葉が続く。

わたしがそちらに行く時まで、聖書を朗読することと、勧めをすることと、教えることとに心を用いなさい。

‭‭テモテへの第一の手紙‬ ‭4‬:‭13‬ 口語訳‬,bible.comより引用,2024年5月12日最終閲覧

テモテが「若いために人に軽んじられ」ないようにする理由は、テモテが「勧め」や「教え」をするためだった。当時テモテが属していた教会で聖書が教える「真理」に関する混乱があった。それを正すことが必要だった。そのために若いテモテが年長の者を教える必要があった。そのためにテモテが「若い」という事が障壁にならないようにする必要があった。

一般に年齢が若いものた年長のものを「教える」ということには抵抗がある。特に年長の者にとって年下から教えを受けるということには大きな抵抗がある。しかし、クリスチャン同士では時にそれが必要になることがある。その抵抗を排除するために若い者は「軽く扱われないよう」ふるまうことが求めれれる。

一方でこの勧めは、若い者が模範を示した上で真理を教える時には、年長の者がそれを受け入れることが求めている。聖書の語る「真理」を共有するという過程において「年齢」を理由にそれを拒否する事は許されない。少なくともクリスチャン同士でそれが起こってならない。

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