「長老に対する敬意示すこと」と「長老の誤りを正すこと」は別物

聖書は以下のように教会の長老(責任者)特によく働く長老に対して敬意を示すよう勧めている。

「よい指導をしている長老、特に宣教と教とのために労している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしい者である。」

テモテへの第一の手紙‬ ‭5‬:‭17‬ 口語訳‬,bible.com/bibleより引用,2024年5月26日最終閲覧

一方で、上記に続く個所で聖書は、以下のように長老に対する訴訟(訴え)の方法についても語っている。

「長老に対する訴訟は、ふたりか三人の証人がない場合には、受理してはならない。」

テモテへの第一の手紙‬ ‭5‬:‭19‬ 口語訳‬,bible.com/bibleより引用,2024年5月26日最終閲覧

敬意を示すことと誤りを正すことは別問題である。聖書は長老であったとしても間違えることがあり、それを正当な手続きを持って正すことを必要だと語っている。長老の権威に対して一定の配慮をすべく「ふたりか三人の証人」を求めているが、長老が白紙委任を受けているわけではない。長老が聖書の教えに従わないとき、証人が立てられて長老の間違いを正すことが必要になる。

仮に「敬意を示す」という理由で「間違っていることを間違っていると言わない」というのは聖書の教えとは反することである。敬意を示すことが「為すべき正しいことをしない理由」にはならない。

ブログ村のランキングに参加参加しました。本記事を評価頂けるようであれば、本ブログを応援する意味も込めて下記のバナーをクリックして頂けると幸いです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

本ブログはコメント欄を設けておりません。コメントがある場合は、お手数ですが下記Xのポストのリプでお願いします。