アブラハムのサラの埋葬とクリスチャンの復活への希望

‘エフロンはアブラハムに答えて言った、 「わが主よ、お聞きなさい。あの地は銀四百シケルですが、これはわたしとあなたの間で、なにほどのことでしょう。あなたの死人を葬りなさい」。 そこでアブラハムはエフロンの言葉にしたがい、エフロンがヘテの人々の聞いているところで言った銀、すなわち商人の通用銀四百シケルを量ってエフロンに与えた。 ‘

創世記 23:14-16

https://www.bible.com/ja/bible/1820/GEN.23.14-16.%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3

これは創世記に書かれているアブラハムが妻サラの墓地としての土地を買ったことに関する記述である。一説によると、この銀400シケルというのはものすごく大きな金額で、今の価値に直すと1億とか、そういう金額のものだったと言われている。ここにアブラハムのサラに対する愛を見ることができるが、もう一つ大きな意味があるように思う。

この創世記の23章の一つ前のところで、22章にアブラハムが神から息子イサクを生贄として捧げるようにと言われた記事が書かれている。

これは実際には、アブラハムはイサクを生贄として捧げることはなかったが、新約聖書の以下の箇所に記されている解説によると、この時アブラハムは「イサクが死んでも神が甦らせてくださる」という信仰があったと書かれている。

‘信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。 この子については、「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われていたのであった。 彼は、神が死人の中から人をよみがえらせる力がある、と信じていたのである。だから彼は、いわば、イサクを生きかえして渡されたわけである。 ‘

ヘブル人への手紙 11:17-19

https://www.bible.com/ja/bible/1820/HEB.11.17-19.%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3

そのことからすると、サラの墓を買った時にもアブラハムは同じように、いずれサラを神が生き返らせてくださるという信仰があったのではないだろうか。同じように、新約の時代を生きるクリスチャンも、死人の復活に関する信仰と希望を持っている。

下記の聖書の言葉に書かれているように、やがて私たちクリスチャンは蘇らせられてキリストと共にある。その時には、今死んでいるクリスチャンも蘇る。それゆえに互いに慰め合って、その時を待ちなさいというのがパウロの教えである。

‘兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。 わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。 すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。 だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。’

テサロニケ人への第一の手紙 4:13-18

https://www.bible.com/ja/bible/1820/1TH.4.13-18.%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3

アブラハムがサラを丁重に葬る姿を見るときに、私たちクリスチャンも同じようにその希望を持って、アブラハムの持っていた希望を共にする者として生きるのがクリスチャンであると考えさせられる。

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