死の問題の解決

今晩は。rieruです。

冒頭、先日下記の記事で死に対する恐れの解決方法について書くと宣言しつつその後の更新をサボってしまった事を謝りたい。今日はその事について簡潔に書きたいと思う。

死への恐れに対する解決について。

聖書は永遠のいのちを得るためになにが必要かということを下記のように述べている。

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」
‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭3:16‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/jhn.3.16.口語訳

この永遠のいのちを得るという事は、先日書いたキリストによる復活の対象となり、永遠にしの恐れから解放される事を意味する。永遠のいのちを得た者は一度死を経験してもそのまま放置されない。それは神の前に義とみなされるからだ。神の義を持つ者にしは相応しくない。なぜなら死は罪の結果であり、罪を解決して義とみなされた者は永遠に死に留め置かれる事はない。必ずキリストによって復活する。単に復活するだけでなく、痛み苦しみなど一切の問題がない完全な身体で復活する。それが聖書を通して神が約束している事である。永遠のいのちを得る事はすなわち、死の問題の解決である。

ではその永遠のいのちはどうやって手に入れるのか。それは「御子を信じる」事である。御子とはキリストである。キリストを信じると罪の問題の解決がある理由はキリストが私達の罪を背負って、私達が受けるべき神の罪に対するさばきを身代わりに受けてくれたからだ。人は皆神の前に罪人である。神によって永遠に裁かれるべき存在である。だから死ぬのである。死の原因は全て罪のである。その解決はキリストにしかない。私達の罪のさばきを十字架で受けた方であるキリストにしかない。

私達がキリストを自らの罪のために死に、罪の精算をしてくれた方として信じるなら、私達は救われる。罪の解決がそこにある。キリストを信じるためには自ら聖書を通して救い主であるキリストの存在を実感する必要がある。聖書を読んでキリストについて考える時に、キリストは読み手の心に入ってくる。その時人はキリストが単なる歴史的な偉人ではなく、実在する神の子である事を実感する。そして、その方が自分の救い主である事を実感を持って知る事ができる。その時にキリストを信じる事は理屈ではない。現実である。信じるという意思ではあるが、信じざる負えないというのが正しい表現だとrieruは思っている。これを読んだ人の中で死の解決を持っていない人には是非聖書に心を向けて欲しい。聖書の中に生きているキリストを実感して欲しい。そしてキリストを信じで死の解決を得て欲しいとrieruは切に願っている。

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