罪人のために命を捨てたキリスト。
今晩はrieruです。
聖書にはキリストについて下記のように記されている。
「キリストも、(中略)自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。」
ペテロの第一の手紙 3:18 口語訳
https://www.bible.com/1820/1pe.3.18.口語訳
これをお読みの方は正しい(義なる)者が正しくない(不義なる)者のために犠牲になるという事についてどのようにお考えなるだろうか。大半の人は「そんな事はあってはならない」と言うだろう。その犠牲が命を取られるという事で有れば尚更である。しかし、キリストに関して言えばその事は事実である。キリストは正しくない、不義なる者のために犠牲になった。しかもその犠牲は命を落とす事だった。
所で、キリストが命の犠牲を払った不義なる者とは誰か。実はそれは全ての人である。この世に生きる全ての人のためである。その中には私も、これを読んでいるあなたも含まれる。あなたはその事に身に覚えはないのかもしれない。しかし、神の前に事実は異なる。神の基準で言えば全ての人は罪の中に死んだ者であって永遠に火の池に投げ込まれるべき罪人である。人は行いを見るが神は心を見られる。神の前に義とされるためには心まで完全に聖くなくてはならない。心まで完全な人はこの世にはいない。どんなに高潔に見えても心闇で一杯である。これを読んでいる方で心を神の前に曝け出しても大丈夫という人はいないだろう。その事実があなたが神の前に罪である事を証明している。
罪人はやがて肉体の死後に神から裁かれる。具体には先に述べたように火の池に投げ込まれる。そこで魂が永遠に苦しみ続ける。その裁きからあなたを救うためにキリストは十字架で死んだ。十字架の死はあなたが神の前に犯した罪の償いである。その償いがあなたにとって有効になるためににはキリストに対する信仰が必要である。その信仰はキリストが私の罪のために死んで下さった救い主であるという信仰である。これをお読みの方には新しい年の初めに自分の罪のために死んだキリストの事を考え、キリストを信じて欲しいと切にお願いしたい。
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— rieru (@Kyr20102Kyr2010) January 5, 2021