恩知らずの悪人にも情け深い神。

今晩は。rieruです。

「しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。」
‭‭ルカによる福音書‬ ‭6:35‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/luk.6.35.口語訳

ここで言う「いと高き者」とは聖書の語る神の事である。「神が恩を知らぬ悪人に情け深い」と聞いてどう感じるだろうか?多くの人は「ふーん。それで?」という感覚だろう。しかし、この事は全ての人に関係がある。クリスチャンでない人でこの記事を読んでいる人にも多いに関係がある。なぜなら全ての人は「神からの恩を無視して生きている」からだ。

人は神の用意した者無しに生きる事ができない。私達がなんの気なしに吸っている空気は神の創造物であり、神が人が生きるために用意したものだ。水、太陽光、食物、その他人が生きるため必要なものは全て神の所有物であり神から人に与えられたものだ。人は空気を創り出すことはできない。飲料水を必要な量確保する事もできない。(だから、未だに雨量が減ると水不足になる。)ちょっとした気候変動に対しても人は無力なので簡単に作物は不作になる。人が当然にあるものと思っているものは実は絶妙なバランスで神からの用意されたものなのだ。

しかし、生まれながらの人はその事を無視して生きている。神に感謝する事もなくそれらが当たり前にあるものだと思っている。その事がすでに神に対して「恩知らず」なのである。そして、「恩を知らない事が「罪」である。だが、神はそんな恩知らずな人に対して「情け深い」。恩知らずの人を即座に裁くことはせず、人が神の元に戻ることを戻る時を待っている。待っているだけでなく、神の元に戻る道を用意している。神の元に戻る道とは下記の記事で紹介した「キリスト」である。

罪という致命的な病の解決。

キリストを救い主として信じる事で人は救われるが、その救いとは「神に対する恩知らず」という罪の解決である。そしてその解決の道を用意したのは神であり、神はそのために一人子であるキリストをこの世に遣わしてくださった。ここに神の情けを見る事でから。人はその情け深い神の用意した救いの道を通って神の元に帰る義務がある。

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