「価なしに」に義と認められる事に示された神の愛。

今日は。rieruです。

今日は、「価なしに」に義と認められるという聖書の語る福音の最も大事な事について書きたい。まずは下記の聖書の言葉をお読みいただきたい。

「すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭3:23-24‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rom.3.23-24.口語訳

この言葉は聖書の福音の本質の一つを端的に示している。ここに出てくる「価なしに」という言葉に注目して頂きたい。これは「無料で」あるいは「無代価で」という意味である。この世の中の一般的なこととして、無料のものというのは相対的に価値の低いものである。しかし、ここで聖書が語っている無料のものとは「神の前に義とされる」という極めて価値の高いものである。人が神の前における義を持たずに死に神の前に立った時そこには罪に対するさばきとして永遠の火の池が待っている。それが聖書の示す事実である。神の前に置いて「義とされる」というのはそこから救われるという事の価値は人に取って極めて重いものである。

しかし、それを聖書は「無代価で」与えると語っている。これは一見すると胡散臭い話に聞こえる。一般的に「価値の高いものをタダであげる」という話は裏の意図があって人をだますための餌である事が多いからだ。しかし、その例外がある。それは「真に愛するものへのプレゼント」である場合である。人は本当に愛する相手を見つけた時、自らの犠牲によりその相手に「無代価で高価なものを与える」という事ができる。それは、稀な事ではあるが、存在はする。聖書の語る福音は神の「真に愛する人に対するプレゼント」である。聖書の別の箇所には下記のようにある。

「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭6:23‬ ‭口語訳‬‬
https://www.bible.com/1820/rom.6.23.口語訳

この箇所における「賜物」とはプレゼントという意味であり、「永遠のいのち」と義と認められる事は同義である。聖書の語る福音は人に「永遠のいのちをもたらす神からのプレゼント」である。それも真に愛するものにしか与える事のできない「非常に価値の高いプレゼント」である。そこに神の人に対する愛の大きさが現されている。そのプレゼントを受け入れるか否かという点は人の責任になる。どんな価値のあるプレゼントであってもそれを相手が不要であると判断して受け入れなければ意味をなさなくなる。

この人の側の受け入れこそ「キリストを信じる信仰」である。もう少し具体的に言えば、「キリストを自らの罪の贖い(償い)のために死んだ方(すなわち救い主)と信じる信仰」である。キリストを信じる信仰を持つことによって神からのプレゼントとしての永遠のいのちを与えられる。それが聖書の語る福音の本質であり、それはすべての人を対象としている。聖書の語る福音の中には神の人に対する限りのない愛が示されてる。是非その事を一人でも多くの人が知り、キリストを信じる信仰によってそれを受け入れる人が一人でも多く起こされて欲しい。

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