神に対する恐れ。

今日は。rieruです。

「彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。」
‭‭ローマ人への手紙‬ ‭3:18‬ ‭口語訳‬‬
https://bible.com/bible/1820/rom.3.18.口語訳

これは、聖書の一節でクリスチャンでない人の有様を述べた言葉である。一方で、この「神に対する恐れ」というのはキリストを信じたクリスチャンの信仰生活の中心でもある。神を恐れない生活から神を恐れる生活に変わる事がクリスチャンの信仰生活の一つの本質である。

こういう事を書くと、クリスチャンの信仰生活について、何か不自由で辛い印象を持たれるかもしれない。しかし、それは実態ではない。神を恐れて生きることは喜びと安心で満ちている。具体には神を恐れるクリスチャンは、神に喜ばれる事を第一に行う。それがクリスチャンの喜びそのものだし、それを実行できた時(実行するのは簡単ではないが。)そこには言葉にする事が難しい安心感がある。それは神の守りを実感するするからだ。その神の守りは例えば、意図しないはずの良いものが与えられたりする事によって実感する。

こういうことを言うと「こじつけ」と言われる事もあろうが、そう感じられる方には、一つの事を知って欲しい。神は聖書の中にキリストを信じたクリスチャンには新しい霊が生まれると約束している。霊とは生まれながらのものとは違う別の人格の事で、この人格が、神の意図や守りを実感する。それは神の意図の受信機のようなもので、新しく生まれた霊でしか感じる事のできない事がある。その事によって人のこじつけと神の意図を見分ける事ができる。

そんなもんは私にはないと反論されるかもしれないが、少なくともクリスチャンの中にそんなものが存在していたらという前提でこの話の辻褄が合っているかを判断して貰いたい。その判断の結果、神を恐れるクリスチャンの信仰生活に興味があるなら聖書の語る福音に耳を傾けてほしい。そして願わくば、キリストを信じて神に対する恐れを持ってこの地上の生活をする人になって貰いたい。

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